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ミシュラン三つ星「ジョエル・ロブション」関谷健一朗シェフが継承するロブションの精神とこれから

日本人のシェフとして、初めて「フランス国家最優秀職人章 Meilleur Ouvrier de France(略称M.O.F.)」を受章された「ジョエル・ロブション」エグゼクティブシェフの関谷健一朗氏。
日本のフランス料理界において、後世に語り継がれるに違いない歴史的快挙を成し遂げられました。
20世紀を代表する偉大なシェフ、ジョエル・ロブション氏の愛弟子として、尊敬する師匠の遺志を継ぎ、フランス料理の技術と伝統を継承していくことが使命と語る関谷シェフ。氏をM.O.F.挑戦の道へと搔き立てたものは何だったのでしょうか。
料理人を始めた頃は特に目立つ存在ではなかったという関谷シェフの修業時代から、フランスに渡った先でのジョエル・ロブション氏との出会い、そして現在に至るまでの道のりとこれからを語っていただきました。
また、ご自宅では長年のネスプレッソのご愛用者であり、レストランでも東京のジョエル・ロブション グループ全3店にご導入いただいた「ネスプレッソ プロフェッショナル」の魅力と、サステナビリティへの想いについても伺いました。
目次
特に目立つ存在ではなかった、修行時代の思い出

― この度は、日本人シェフ初のM.O.F.受章、改めましておめでとうございます。
この素晴らしい快挙の裏側を、動画の内容に沿ってお伺いしていきたいと思います。
その最初の質問としてお聞きしたいのは、そもそも関谷シェフがフランス料理人の道を目指された理由ですが、どのようなことがあったのでしょうか?
最初は単純に興味があった、というその程度なんです。
料理が好きで専門学校に入り、和・洋・中、のジャンルを勉強した中で、フランス料理に一番興味を持ちました。フランス料理は基本的に塩と胡椒で味付けをするのですが、それでも今まで食べたことのないような味のものが多く、そこに惹かれて、という感じです。
調理師学校では普通の生徒でしたし、卒業して働き始めても、何かすごく高い志を持って働こうと思っていたわけではなかったので、最初に就職したホテルでは仕事中に注意されることも多かったです。
今でも憶えているのは、当時、ホテルの宴会部門で働いていて、婚礼の宴会コースのデザートにメロンを提供していたのですが、1個のメロンを8等分にカットしなければならないのに、まず最初の半分に切るところから上手くできなくて。8個の大きさが揃わずよく注意されていました。
今でもメロンを切る機会があると緊張します。そのくらい、その当時の記憶は強く残っていて、そのメロンを切っていた包丁も今でも大事に使っていますし、僕にとっては思い入れのある食材です。
ターニングポイントとなった人生初のフランス一人旅
― そのような状況で仕事をされていて、フランスへ一人で旅行されるきっかけとなったのはどのようなことだったのですか?
メロンなどを切っていたのが1年目で、2年目になった時に、普段の仕事をしながら「あれ?これって、フランス料理なのかな?」と疑問に思うことが多くなったんです。
当時働いていたのはリゾートホテルで、お客様の利用目的の一番にお食事があったわけではなかったと思いますし、当然と言えば当然です。
それで、本物のフランス料理ってどういうものなんだろうと考えるようになりました。たった20年くらい前の話ですが、今とは時代が違い過ぎて情報は簡単に手に入らなかったんです。当時その職場にフランスで働いたり、行ったことがあるという人もいなかったので、自分で行ってみるしかない、というすごく単純な動機でした。
― そして本場の星付きのレストランを体験するために、一人でフランスへ旅行されて、その時の体験が人生のターニングポイントになられた、ということですが、どのような体験だったのでしょうか?
とにかく様々なことに対して無知だったので、レストランで食べたことのない料理を体験したり、マルシェで見たこともないような食材を沢山見たりと、驚きの連続でした。
ポール・ボキューズさんやピエール・ガニェールさんなど有名なシェフに会えたことも大きな出来事でした。本当にただの旅行で、その時はまだフランス語も全く話せなかったのですが、ポール・ボキューズさんは一緒に写真を撮ってくださった上、キッチンを案内してくださって、それも記憶に残る体験です。
沢山の刺激を受けて日本に戻った後、どうやったらフランスへ料理を学びに行けるのかということをすごく考えていましたね。当時はまだワーキングホリデーもなかったですし、今のようにインターネットで簡単に調べることもできない時代なので、人づてでいろんな方に聞いてみたりなどしながら、ひたすら情報収集しました。
実現させた本場フランスでの修行とジョエル・ロブション氏との出会い

― そしていよいよ、料理の勉強をしにフランスに渡る時が来るのですね?
最終的には、学生ビザを取得してフランスに渡り、現地で働きたいレストランに手紙を書いたり、食事に行って直接お願いしたり、ということをしながら仕事先を見つけて行きました。
ジョエル・ロブションで働くことになるのは、渡仏して5年くらい後のことなのですが、それまでも、いろんなレストランで修行の機会を得て生活は充実していました。3年目に入るタイミングで労働許可書を取ることができて、正規に働けるようになったので、それ以降は特に生活は変わりましたね。
仕事は楽しかったです。お店の中で自分の役割をちゃんと果たそうとしていました。
実力さえあればどんどん仕事を任せてもらえる環境だったので、働き甲斐も感じていました。
― そのように5年近くの月日が過ぎていき、その後ジョエル・ロブションさんとの出会いがあるのですね。どのようなきっかけだったのでしょうか?
フランスで修行している間も、ジョエル・ロブションの系列のお店では、働くことはないんだろうなと思っていたんです。というのも、フランスでしか学べないシェフのもとで働きたいという想いがあったので。
それが、ある時、実際にジョエル・ロブションのレストランに食べに行く機会があって、その時に食べた料理が想像を超えていたんです。
こんなことを言ったら本当におこがましいかもしれないのですが、ロブションさんの味の嗜好と、僕の好みの味が近かったのかもしれないです。
それで、ロブションさんに学びたいと思い、そこから就職を希望して働かせてもらえることになりました。
実際に働いてみると、とても大変でしたね。お店の営業時間が長くて夜の24時がラストオーダーだったので、時を忘れてしまうくらい働いていました。
ただ、その分休みも多くあり、その時々のお店の流れにもよりますが、一番多い時で3日働いたら3日休み、それプラス年間5週間のバカンスがあって。
沢山休みがあるという甘い誘いで人は入ってくるんですけど、長続きする人は少なかったです。やはりそれだけ仕事は大変でした。
ただ、僕は、嫌だと思わなかったんですよね。その時に一緒に働いていた人達は、皆仲が良かったですし、働いた分の手当てもちゃんと貰えていたので、続けられたんだと思います。あとは仕事に対する達成感というのはすごく得ていました。明らかに日々自分の実力が上がっていく実感があって、それは他のレストランでは味わえない感覚だったんです。
人から評価されることもやる気には繋がりますけど、自分自身で自分が成長していることを感じ取れるって、なかなかできない体験ですよね。
ロブションさんのところでその感覚を味わえたのは、仕事のスピード感から来ていたのかもしれません。仕事をハイスピードでこなすことで、成長スピードも早く感じられたのかと思います。他のレストランでももちろん達成感は感じていましたけど、ジョエル・ロブションで学んだ仕事のクオリティの高さと速さというのはすごく印象に残っています。
そして帰国、タイトルへの挑戦とM.O.F.受章までの道のり

― その後、日本のグループ店のシェフとして抜擢されたのですね。
ジョエル・ロブションで働き始めて4年程、フランスに渡って9年程経った時の事です。実はその頃、そろそろジョエル・ロブションのお店を辞めて、他のレストランに移ろうと考えていました。ロブションでは、ポジションももらえて30~40人の部下がいて、人事採用を行ったり、業者との食材のやり取りも全部任されていたので、ある程度のキャリアも積めて、次のステップとして違うお店で学んでもいいのかなと思っていたんです。まだロブションさんには伝える前でしたけど、話を貰ったのは、そんなことを考えている時期でした。
返答には多少は悩みました。最初は日本か台北のどちらか、という話もありましたし、他にいろいろと考えることもあったので。
最終的には、20代をほぼフランスで過ごし、ちょうど30歳になる時だったので、30代に入ると共に何か環境が変わってもよいのではと思い決意しました。
9年ぶりの帰国は、フランスへ旅立った時の日本とは何もかもが様変わりしていて、すっかりフランスの生活に慣れてしまっていたこともあり、まるでフランスから逆赴任して来たような気分でした。新しい生活に慣れるのに時間が必要でしたが、シェフとして任されたレストランのチームを引っ張って行く決意は持っていました。
― 帰国された後も様々なことに挑戦されて来られたと思いますが、この度、見事M.O.F.を受章なさいました。その挑戦に至った経緯と受章までの道のりをお聞かせいただけますでしょうか?
フランス料理を勉強し始めた時からM.O.F.の存在はもちろん知っていて、ほんの5年ぐらい前まで自分には縁のないことだとずっと思っていました。
意識するようになったのは、2018年に「ル・テタンジェ国際料理賞コンクール」でタイトルを取れたからでしょうか。テタンジェコンクールで優勝したり、関わった方でM.O.F.になられている方がわりと多いので、自然と意識するようになったのかもしれないです。
― 過去に他のいくつかの料理コンテストにも参加されていますが、そのようなタイトルに挑む想いの根幹のようなものがあるのですか?
飽きっぽいので、常に何かに挑戦していたい、といったことはあるかもしれません。
あとは、やはり部下に言葉だけで「やれ、やれ」と言っても簡単には動きませんし、自分自身がちゃんと見本を見せないと、ということはすごく思っていました。
M.O.F.に関しては、日本人である僕が、日本に拠点を置きながら挑戦するということは、大変難しいチャレンジだったのですが、誰も成し遂げたことがない事を成し遂げたいという想いがありました。
僕がもし日本の個人店で働いていたり、オーナーシェフだったりしたら、多分できなかったと思いますが、周囲に応援してくれる環境があり、それが挑戦の後押しとなりました。
実際、審査のために不在にすることも増えて、会社やチームに沢山の負担をかけることになりましたが、日本のジョエル・ロブションを運営する㈱フォーシーズの会長、社長をはじめ、職場のスタッフも全員が応援してくださり、スタートを切ることができました。
― M.O.F.への挑戦に向けて、最初に取り組んだことはどのような事でしたか?
これをしたっていうのは実はあまりなく、いつもやっていることの精度を上げようということが、まず最初に取り組んだことです。食材の選び方しかり、食材の切り方しかり、加熱調理の仕方、機材の扱い方、全ての工程において、もう一度改めてフランス人が専門学校で使用するような本を見ながら勉強しました。
審査では、普段やっていることが自ずと出てしまいます。ファイナルの審査時間は5時間なので、5時間も仮面をかぶって料理は作れないですからね。
― 挑戦する過程を振り返って、辛かったこと、苦しかったことはありますか?
審査に関連することで、「あれが大変で...」と言いたいのは山々なのですが、自分がやりたくて挑戦していることなので、そんなに辛いこともないし、大変だとも思わなかったです。挑戦させてもらえるだけで何も不満はなかったですね。
本番もあまり緊張はしなかったです。普段通りに臨めました。テタンジェコンクールで少しは場慣れできていたこともあったと思います。会場にいる時は、有名なシェフを多く見かけて、一緒に写真撮りたいな、とかそんなことを思っていました。携帯電話などの所持品は預けさせられて持ち込めなかったので、写真を撮ることはできなかったんですけど、雑誌やテレビなどでしか見たことのないような憧れのシェフたちが勢ぞろいされていて高揚しました。
ただ、これはいつも繰り返しお話することなのですが、スタッフの皆が全力でサポートしてくれたからこそこのような経験もでき、成し得たことです。チームを中心に、支えて下さった全ての方々に、言葉で言い尽くせないほど感謝しています。
ジョエル・ロブション氏の思い出は“香り”と共に永遠に

― 関谷シェフと言えば、ジョエル・ロブション氏の遺志を受け継いでいくことへの強い使命感を感じるのですが、ロブション氏は関谷シェフにとってどのような方でしたか? 生前一緒に仕事をされて印象に残っている言葉や体験はありますか?
・・・。動画で語らせて頂いた内容や、これまで話した事とは別の話を上げようと思っていますが、結構語り尽くしてしまってなかなか難しいですね。
そう言えば、ジョエル・ロブションで働いたことがある人であれば、共感してくれると思う事があって。日本でも、フランスで働いていた時も、僕たちがロブションさんが来てるって何でわかるって、“匂い”なんです。
通った後に、香水の匂いが残っていて。なので香りというのは、記憶に残っている一つです。
フランス人のシェフで香水をつけている人は案外いらっしゃいます。日本人があまり香水をつけないので、敏感に感じ取ってしまうのかもしれないですね。
その匂いを嗅ぐと、僕はスイッチが入る感じがしました。何かいつも以上にちゃんとしなければな、と思います。
だから、M.O.F.で一次、二次、三次と審査がありましたけど、ずっとロブションさんが使っていた香水をつけて臨みました。テタンジェコンクールの時もそうしました。
普段はつけないですけど、今でもその香水の匂いを嗅ぐと、ピシッとしなければいけないと思います。
M.O.F.のタイトルを手にし、増した責務と使命感
― 日本の「ジョエル・ロブション」のエグゼクティブシェフに就任されてからもそれなりの時が経ち、この度、見事にM.O.F.を受章されて、改めて今後の目標や展望はありますか?
個人的にはやはりこのタイトル(M.O.F.)は、宝の持ち腐れになってはいけないとすごく思っていますし、日々、このタイトルに見合う仕事をしなくてはと思っています。
今までは、ジョエル・ロブションで働いている限りは、ロブションさんに教わった事を今いるスタッフに伝えていかなければいけないという思いを持ってずっと働いていたんですが、M.O.F.を取ってからは、プラスして、フランス料理人を志す人全てに向けて、リードできる人間でありたいと意識の範囲が広がりました。
今後は、業界全体のことを考えていかなければならないという使命感を感じています。
フランス料理を継承して次の世代に伝えていくという任務をフランスから任されたので、その責務は重く受け止めています。
トップシェフから見る「ネスプレッソ」と、「ジョエル・ロブション」で体験できる特別なコーヒーの味わい

― 関谷シェフの今後の益々のご活躍に多くの方が期待していらっしゃると思いますし、そのようなお姿を拝見し続けていくことを私たちも楽しみにしております。
それでは、ここからネスプレッソに関する質問を少しさせてください。現在、日本のジョエル・ロブション グループ3店のレストランで「ネスプレッソ プロフェッショナル」をご導入いただき、全店へのご導入には関谷シェフに後押しもしていただいたのですが、関谷シェフから見るネスプレッソの良さはどのような点にありますか?
常に高いクオリティで安定している、それはコーヒー本来の品質もそうですし、コーヒーマシンの抽出機能もそうですし、僕はすごく良いと思っています。コーヒーは淹れる人によっても品質が変わってしまい、安定させるのが難しいですからね。
自宅でも長く愛用しています。フランスから帰ってすぐくらいから使っていますので、結構経ちますね。最近は新しいラインのヴァーチュオで飲む機会が多いです。たっぷりサイズで飲めるので、軽めのタイプのコーヒーを選んで、ゆっくり味わいます。
― ありがとうございます。 ジョエル・ロブション様でメインにご提供いただいているコーヒーは、「エクスクルーシブ・セレクション」というトップファインダイニングに向けて特別に作られたコーヒーシリーズで、ネパール ラムジュン地方産の大変希少なコーヒーです。大変恐縮ですが改めてここでご試飲いただき、この味わいを読者の皆さまにお伝えいただいてもよろしいでしょうか。
香ばしさとコクもしっかりありながら、舌触りがとてもなめらかで品のある味わいですね。あと、余韻がしっかりして、話している今も口の中に良い後味が残っています。
毎日ネスプレッソのコーヒーを飲んでこのクオリティに慣れてしまっているのですが、他の店で時々違うコーヒーを飲んだ時に、改めて普段飲んでいるネスプレッソの良さを実感しています。
フランス料理はサステナブルな料理。今、必要とされる考え方。
― 「エクスクルーシブ・セレクション」シリーズは、国内でも限られたレストランのみでご体験いただけるコーヒーですので、ジョエル・ロブション様にご来店になられるお客様にも、この特別な味わいをコース料理の締めくくりに素晴らしいお料理の余韻と共に是非楽しんでいただけたらと願っています。
最後に、今、社会全体においても、飲食業界においても、切っても切り離せない大きな課題の一つが“サステナビリティ”だと思います。
ジョエル・ロブション様には、ネスプレッソの使用済みカプセルのリサイクル回収にもご協力いただいていますが、ジョエル・ロブション グループとして、または関谷シェフとしてのお考えや取り組みをお聞かせいただけますでしょうか。
まず、ネスプレッソさんが、かなり以前からサステナビリティの取り組みを進めていらっしゃることを今回改めて学ばせていただきました。
ジョエル・ロブションとしても、やはり様々な取り組みを行っています。そもそもフランス料理ってサステナブルな料理なんです。端材や骨でソースも作りますし、全ての部分を料理に使え、全てを使い切って、それでも最終的に残った部分だけ廃棄しています。フランス料理は昔からそのような考え方なのです。
三つ星レストランだからと言って、例えば魚料理で一部分の良い部位しか使わず残った部分は捨ててしまう、というのはどうしても嫌で、きちんと食材全てを使いきる料理を作ることを心がけています。端の部分を何か付け合わせに活かしたり、未利用魚を使った一品を作ったりなど、いろいろと取り組みも増やしています。
また、ジョエル・ロブション グループは、飲食業界の中では女性が働いている割合は多いと思います。それは、働きやすい環境を作ることが大事だと思っていて、細かいことかもしれないですが、女性従業員専用の化粧室や更衣室を備えるなど、基本的な環境を整えることから行っています。
パリのお店でも、他のレストランがまだ対応していない時期からジョエル・ロブションにはありました。
サステナビリティは、飲食業界においても社会全体においても、注力しなければならない重要な取り組みだと強く意識しています。
以上、関谷健一朗シェフへのインタビューを通じて、修行時代のお話からフランスでの生活、M.O.F.に挑戦するまでの道のりや今後の展望に至るまで詳細のお話をお伺いすることができました。
インタビュー内でも触れていただいたネスプレッソのサステナビリティへの取り組みはこちらのサイトで詳細をご案内しております。詳しくはこちら
「ネスプレッソ プロフェッショナル」は、食のプロフェッショナルたちを応援すると共に、レストランでご利用いただくお客様のあらゆるニーズにお応えすべく、今後もご満足いただける商品・サービスをご提供できるよう更に取り組んで参ります。
ご導入をご検討いただける際はお気軽にご相談をお待ちしております。
※動画内に登場する「ジョエル・ロブション」様でご使用いただいているコーヒーマシンの詳細はこちらよりご参照いただけます。
「ジョエル・ロブション」 詳細情報

CHEF PROFILE
「ジョエル・ロブション」エグゼクティブシェフ関谷健一朗氏
1979年11月千葉県生まれ。
専門学校卒業後、ホテルでの経験を経て2002年に渡仏。
2006年よりパリにあるラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションに勤務し、弱冠26歳の若さでロブション氏の推挙によりスーシェフに抜擢される。
2010年、東京のラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションのシェフ着任。
2018年11月、「第52回 <ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール インターナショナル(パリ)」にて、日本人シェフ34年ぶりの優勝を果たす。
2021年11月、ガストロノミー“ジョエル・ロブション”のエグゼクティブシェフ(総料理長)に就任。
2023年6月、日本人として初めて料理部門 M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)を受章する。
ガストロノミー“ジョエル・ロブション”
ジョエル・ロブションが世界中で展開する様々なレストランの中でも、最高峰のブランドとして世界を魅了し続けている、ガストロノミー “ジョエル・ロブション”。
最高の素材を惜しみなく使い、素材が持つクオリティを最大限に引き出した、ロブション モダンフレンチの集大成を洗練されたサービスとともにお楽しみいただけます。
公式ホームページURL:https://www.robuchon.jp/